大和ミュージアムに行ったyo! その8 大型資料展示室1
2012年 広島の旅 宮島~呉編 47
次は・・・
(左)九三式魚雷・二式魚雷 (右)特攻兵器「回天」十型試作品
特攻隊員たちが遺した遺品 決死の覚悟で辞世の句を書いた隊員たちを思うと胸が痛みます。
零戦62型(三菱 零式艦上戦闘機六二型 (A6M7))
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は第二次世界大戦期における大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的に最終型式で、日中戦争[1]の半ばから太平洋戦争[1]の終戦まで前線で運用された。
零戦は太平洋戦争初期、2200kmに達する長大な航続距離・20mm機関砲2門の重武装・優れた格闘性能によって、米英の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収め太平洋戦線の占領地域拡大に貢献し、米英パイロットからは「ゼロファイター」の名で恐れられた。零戦の性能は太平洋戦争初期には米英戦闘機を凌駕した。しかし大戦中期以降には、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の確立、アメリカ陸海軍の新鋭機の大量投入、多数の熟練した零戦搭乗員の戦死によって、零戦は劣勢に追い込まれた。零戦は大戦末期には特攻機としても使用された。
零戦の開発元は三菱重工業(以下「三菱」という)であるが、三菱のみならず中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製である。零戦はアメリカ陸軍のP-51マスタング、ドイツ空軍のメッサーシュミット Bf109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な戦闘機として知られている。(wikipediaより)
この機体は、かつて琵琶湖に沈んでいたものを引き上げて修復したそうです。
(左)栄三一甲型エンジン(製造番号 No.31707)
上から眺めた所・・・
つづく
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